◇東日本大震災が転換点

東京大大学院情報学環・総合防災情報研究センター長 (教授)の田中淳氏は、大災害時における情報の流れに注目してきた。古くは1934年の室戸台風だ。当時、大阪市内のラジオ受信機は21万台で全世帯の34%に当たる。しかし、停電のためにほとんどラジオを聴くことができなかったといわれる。その後も、伊勢湾台風などの災害に襲われる中で、災害報道が定着していった。
大きな変化があったのが東日本大震災だ。田中氏は「情報の流れという点から考えると、東日本大震災はそれまでの災害を抜本的に変えてしまうような可能性、実態を秘めていた。この震災が情報の在り方を変えてきたのは事実だ」と述べた。
その代表がツイッターだ。東京電力福島第1原発事故などに関するNHK報道局科学文化部が発信したツイッターは、災害発生から1カ月余りでフォロワー数が約9万1300万人に達したという。大震災に伴う停電でテレビを見ることができない人々もいた。そこで、ライブ映像などの情報をスマートフォンやパソコンに向けて流す「ユーストリーム」や「ニコニコ生放送」といったライブストリーミング(オンライン動画配信サービス)が、代わりの機能を果たした。テレビ各局がライブストリーミングによってニュースなどをそのまま発信したことを、田中氏は評価する。一つの効果として、「県外に避難している人たちにはうまく情報が伝わらない。自分の住んでいた市町村の様子を見ることができたのは、とても大きかった」と指摘した。
一方、田中氏は「防災情報は伝統的に伝達系が強いが、収拾系は弱い」と言う。いろいろな人がスマホに入力し情報を共有する「人間センサー」という考えがある。しかし、田中氏は「非常に深刻なのは火災発生時には携帯の基地局が駄目になることだ。火災地域からの情報をどう集めるは人間センサーだけでは苦しい」と懸念を示した。

